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びき。万民なげきて逃亡せんとせしに、大王なげかせ給うことかぎりなし。その時、賢人ありて云わく「七難の大火と申すことは、聖人のさり、王の福の尽くる時おこり候なり。しかるに、この大火、万民をばやくといえども、内裏には火ちかづくことなし。知んぬ、王のとがにはあらず。万民の失なり。されば、万民の家を王舎と号せば、火神、名におそれてやくべからず」と申せしかば、さるへんもとて、王舎城とぞなづけられしかば、それより火災とどまりぬ。されば、大果報の人をば大火はやかざるなり。
これは国王すでにやけぬ。知んぬ、日本国の果報のつくるしるしなり。しかるに、この国は、大謗法の僧等が強盛にいのりをなして日蓮を降伏せんとする故に、いよいよわざわい来るにや。その上、名と申すことは体を顕し候に、両火房と申す謗法の聖人、鎌倉中の上下の師なり。一火は身に留まりて、極楽寺焼けて地獄寺となりぬ。また一火は鎌倉にはなちて、御所やけ候いぬ。また一火は現世の国をやきぬる上に、日本国の師弟ともに無間地獄に堕ちて、阿鼻の炎にもえ候べき先表なり。愚癡の法師等が智慧ある者の申すことを用い候わぬは、これ体に候なり。不便、不便。先々御文まいらせ候いしなり。
御馬のがいて候えば、またともびきして、くり毛なる馬をこそもうけて候え。あわれ、あわれ、見せまいらせ候わばや。
名越のことは、これにこそ多くの子細どもをば聞こえて候え。ある人のゆきあいて、理具の法門自讃しけるを、さんざんにせめて候いけると承り候。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(200)王舎城事 | 文永12年(’75)4月12日 | 54歳 | 四条金吾 |