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られたてまつりなば、なにかくるしかるべき。
今、三十三の御やくとて、御ふせおくりたびて候えば、釈迦仏・法華経・日天の御まえに申しあげ候いぬ。人の身には左右の肩あり。このかたに二の神おわします。一をば同名神、二をば同生神と申す。この二の神は、梵天・帝釈・日月の人をまぼらせんがために、母の腹の内に入りしよりこのかた、一生おわるまで、影のごとく眼のごとくつき随って候が、人の悪をつくり善をなしなんどし候をば、つゆ・ちりばかりものこさず天にうったえまいらせ候なるぞ。華厳経の文にて候を止観の第八に天台大師よませ給えり。
ただし、信心のよわきものをば、法華経を持つ女人なれども、すつるとみえて候。れいせば、大将軍心ゆわければ、したがうものもかいなし。ゆみゆわければつるゆるし、風ゆるなればなみちいさきは、じねんのどうりなり。しかるに、さえもんどのは、俗のなかには、日本にかたをならぶべきものもなき法華経の信者なり。これにあいつれさせ給いぬるは、日本第一の女人なり。法華経の御ためには竜女とこそ仏はおぼしめされ候らめ。女と申す文字をば「かかる」とよみ候。藤の松にかかり、女の男にかかるも、今は左衛門殿を師とせさせ給いて、法華経へみちびかれさせ給い候え。
また三十三のやくは、転じて三十三のさいわいとならせ給うべし。「七難は即ち滅し、七福は即ち生ず」とは、これなり。年はわこうなり、福はかさなり候べし。あなかしこ、あなかしこ。
正月二十七日 日蓮 花押
四条金吾殿女房御返事
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(198)四条金吾殿女房御返事 | 文永12年(’75)1月27日 | 54歳 | 日眼女 |