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悪心をもってとによせかくによせおこづきわらい、あるいは「後生のつとめなれども、まず今生かないがたければ、しばらくさしおけ」なんどと無量にいいうとめ、謗ぜしによって、今生に日蓮種々の大難にあうなり。諸経の頂上たる御経をひきくおき奉る故によりて、現世にまた人にさげられ用いられざるなり。譬喩品に「人にしたしみつくとも、人、心にいれて不便とおもうべからず」と説きたり。
しかるに、貴辺、法華経の行者となり、結句大難にもあい、日蓮をもたすけ給うこと、法師品の文に「化の四衆、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷を遣わして」と説き給う。この中の「優婆塞」とは、貴辺のことにあらずんばたれをかささん。すでに法を聞いて信受して逆らわざればなり。不思議や、不思議や。もししからば、日蓮、法華経の法師なること疑いなきか。「則如来使(則ち如来の使いなり)」にもにたるらん、「行如来事(如来の事を行ず)」をも行ずるになりなん。
多宝塔中にして二仏並坐の時、上行菩薩に譲り給いし題目の五字を、日蓮ほぼひろめ申すなり。これ即ち上行菩薩の御使いか。貴辺また日蓮にしたがいて法華経の行者として諸人にかたり給う。これあに流通にあらずや。
法華経の信心をとおし給え。火をきるに、やすみぬれば火をえず。強盛の大信力をいだして、「法華宗の四条金吾、四条金吾」と、鎌倉中の上下万人、乃至日本国の一切衆生の口にうたわれ給え。あしき名さえ流す。いわんやよき名をや。いかにいわんや法華経ゆえの名をや。
女房にもこの由を云いふくめて、日月・両眼・そうのつばさと調い給え。日月あらば、冥途あるべきや。両眼あらば、三仏の顔貌拝見疑いなし。そうのつばさあらば、寂光の宝刹へ飛ばんこと須臾・
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(194)四条金吾殿御返事(煩悩即菩提の事) | 文永9年(’72)5月2日 | 51歳 | 四条金吾 |