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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

切衆生皆成仏道の指南にてましますなれば、ふかきなり。
 経に云わく「諸仏の智慧は甚深無量なり」云々。この経文に「諸仏」とは、十方三世の一切の諸仏、真言宗の大日如来、浄土宗の阿弥陀、乃至諸宗・諸経の仏菩薩、過去・未来・現在の総諸仏、現在の釈迦如来等を諸仏と説き挙げて、次に「智慧」といえり。この智慧とはなにものぞ。諸法実相・十如果成の法体なり。その法体とはまたなにものぞ。南無妙法蓮華経これなり。釈に云わく「実相の深理、本有の妙法蓮華経」といえり。その諸法実相というも、釈迦・多宝の二仏とならうなり。諸法をば多宝に約し、実相をば釈迦に約す。これまた境智の二法なり。多宝は境なり、釈迦は智なり。境智而二にして、しかも境智不二の内証なり。これらは、ゆゆしき大事の法門なり。
 煩悩即菩提・生死即涅槃というも、これなり。まさしく男女交会のとき、南無妙法蓮華経ととなうるところを煩悩即菩提・生死即涅槃というなり。生死の当体、不生不滅とさとるより外に、生死即涅槃はなきなり。普賢経に云わく「煩悩を断ぜず、五欲を離れずして、諸根を浄め、諸罪を滅除することを得」。止観に云わく「無明・塵労は、即ちこれ菩提、生死は、即ち涅槃なり」。寿量品に云わく「つねに自らこの念を作す。何をもってか衆生をして、無上道に入り、速やかに仏身を成就することを得しめんと」。方便品に云わく「世間の相は常住なり」等はこの意なるべし。かくのごとく、法体というも全く余にはあらず、ただ南無妙法蓮華経のことなり。
 かかるいみじくとうとき法華経を、過去にてひざのしたにおきたてまつり、あるいはあなずり、くちひそみ、あるいは信じ奉らず、あるいは法華経の法門をなろうて一人をも教化し法命をつぐ人を、