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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

いずと申すなり。このほどは、上下の人々の御返事申すことなし。心もものうく、手もたゆき故なり。しかりと申せども、このこと大事なれば、苦を忍んで申す。ものうしとおぼすらん一篇、きこしめすべし。村上天皇の前中書王の書を投げ給いしがごとくなることなかれ。
 さては、八幡宮の御造営につきて、一定ざんそうや有らんずらんと疑いまいらせ候なり。おやと云い我が身と申し、二代が間きみにめしつかわれ奉って、あくまで御恩のみなり。たとい一事相違すとも、なんのあらみかあるべき。わがみ賢人ならば、たとい上よりつかまつるべきよし仰せ下さるるとも、一往はなに事につけても辞退すべきことぞかし。幸いに讒臣等がことを左右によせば、悦んでこそあるべきに、望まるること一の失なり。
 これはさておきぬ。五戒を先生に持って今生に人身を得たり。されば、云うにかいなき者なれども、国主等謂れなく失にあつれば、守護の天いかりをなし給う。いわんや、命をうばわるることは天の放ち給うなり。いおうや、日本国四十五億八万九千六百五十九人の男女をば、四十五億八万九千六百五十九の天まぼり給うらん。しかるに、他国よりせめ来る大難は脱るべしとも見え候わぬは、四十五億八万九千六百五十九人の人々の天にも捨てられ給う上、六欲・四禅・梵釈・日月・四天等にも放たれまいらせ給うにこそ候いぬれ。
 しかるに、日本国の国主等、八幡大菩薩をあがめ奉りなばなに事のあるべきと思わるるが、八幡はまた自力叶いがたければ、宝殿を焼いてかくれさせ給うか。しかるに、自らの大科をばかえりみず、宝殿を造ってまぼらせまいらせんとおもえり。