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この大部の諸経すら未顕真実なり。いかにいわんや、浄土の三部経等の往生極楽ばかり未顕真実の内にもれんや。その上、経々ばかりを出だすのみにあらず、既に年月日数を出だすをや。しかれば、華厳・方等・般若等の弥陀往生、すでに未顕真実なること疑いなし。観経の弥陀往生に限って、あに「留難多きが故なり」の内に入らざらんや。
もし、随自意の法華経の往生極楽を随他意の観経の往生極楽に同じて易行道と定めて、しかも易行の中に取ってもなお観経の念仏往生は易行なりとこれを立てらるれば、権実雑乱の失、大謗法たる上、一滴の水漸々に流れて大海となり、一塵積もって須弥山となるがごとく、漸く権経の人も実経にすすまず、実経の人も権経におち、権経の人次第に国中に充満せば、法華経随喜の心も留まり、国中に王なきがごとく、人の神を失えるがごとく、法華・真言の諸の山寺荒れて諸天善神・竜神等一切の聖人国を捨てて去れば、悪鬼便りを得て乱れ入り、悪風吹いて五穀も成らしめず、疫病流行して人民をや亡ぼさんずらん。
この七・八年が前までは「諸行は永く往生すべからず。善導和尚の『千中無一』と定めさせ給いたる上、選択には『諸行を抛てよ。行ずる者は群賊』と見えたり」なんど放語を申し立てしが、またこの四・五年の後は「選択集のごとく人を勧めん者は、謗法の罪によって師檀共に無間地獄に堕つべしと経に見えたり」と申す法門出来したりげにありしを、始めは念仏者こぞりて不思議の思いをなす上、「『念仏を申す者、無間地獄に堕つべし』と申す悪人・外道あり」なんどののしり候いしが、「念仏者、無間地獄に堕つべし」と申す語に智慧つきて、各選択集を委しく披見するほどに、げにも謗
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(001)唱法華題目抄 | 文応元年(’60)5月28日 | 39歳 |