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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(178)

兵衛志殿御書(親父入信の事)

 弘安元年(ʼ78)9月9日 57歳 池上宗長

 久しくうけたまわり候わねば、よくおぼつかなく候。何よりもあわれにふしぎなることは、大夫志殿ととのとの御事、ふしぎに候。
 つねざまには、代すえになり候えば、聖人・賢人もみなかくれ、ただ、ざんじん・ねいじん・わざん・きょくりの者のみこそ国には充満すべきと見えて候えば、喩えば、水すくなくなれば池さわがしく、風ふけば大海しずかならず。代末になり候えば、かんばち・えきれい・大雨・大風ふきかさなり候えば、広き心もせばくなり、道心ある人も邪見になるとこそ見えて候え。されば、他人はさておきぬ、父母と夫妻と兄弟と諍うこと、れっしとしかと、ねことねずみと、たかときじとのごとしと見えて候。
 良観等の天魔の法師らが、親父・左衛門大夫殿をすかし、わどのばら二人を失わんとせしに、殿の御心賢くして日蓮がいさめを御もちいありしゆえに、二つのわの車をたすけ、二つの足の人をになえるがごとく、二つの羽のとぶがごとく、日月の一切衆生を助くるがごとく、兄弟の御力にて親父を法華経に入れまいらせさせ給いぬる御計らい、ひとえに貴辺の御身にあり。