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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 また真実の経の御ことわりは、代末になりて仏法あながちにみだれば、大聖人世に出ずべしと見えて候。喩えば、松のしもの後に木の王と見え、菊は草の後に仙草と見えて候。代のおさまれるには賢人見えず、代の乱れたるにこそ聖人・愚人は顕れ候え。あわれ、平左衛門殿・さがみ殿の日蓮をだに用いられて候いしかば、すぎにし蒙古国の朝使のくびはよも切らせまいらせ候わじ。くやしくおわすらん。
 人王八十一代安徳天皇と申す大王は、天台座主・明雲等の真言師等数百人かたらいて、源右将軍頼朝を調伏せしかば、「還って本人に著きなん」とて、明雲は義仲に切られぬ、安徳天皇は西海に沈み給う。人王八十二・三・四、隠岐法皇・阿波院・佐渡院・当今、已上四人、座主慈円僧正・御室・三井等の四十余人の高僧等をもって平将軍義時を調伏し給うほどに、また、「還って本人に著きなん」とて、上の四王、島々に放たれ給いき。
 この大悪法は、弘法・慈覚・智証の三大師、法華経最第一の釈尊の金言を破って法華最第二・最第三、大日経最第一と読み給いし僻見を御信用あって、今生には国と身とをほろぼし、後生には無間地獄に堕ち給いぬ。
 今度はまた、この調伏三度なり。今、我が弟子等、死したらん人々は仏眼をもってこれを見給うらん。命つれなくて生きたらん眼に見よ。国主等は他国へ責めわたされ、調伏の人々は、あるいは狂い死に、あるいは他国、あるいは山林にかくるべし。教主釈尊の御使いを二度までこうじをわたし、弟子等をろうに入れ、あるいは殺し、あるいは害し、あるいは所・国をおいし故に、その科必ずその