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兵衛志殿女房御書
建治3年(ʼ77)3月2日 56歳 池上宗長の妻
先度、仏器まいらせさせ給い候いしが、この度、この尼御前大事の御馬にのせさせ給いて候由、承り候。法にすぎて候御志かな。これは、殿はさることにて、女房のはからいか。
昔、儒童菩薩と申せし菩薩は、五茎の蓮華を五百の金銭をもってかいとり、定光菩薩を七日七夜供養し給いき。女人あり、瞿夷となづく。二茎の蓮華をもって自ら供養して云わく「凡夫にてあらん時は、世々生々、夫婦とならん。仏にならん時は、同時に仏になるべし」。このちかいくちずして、九十一劫の間夫婦となる。結句、儒童菩薩は今の釈迦仏、昔の瞿夷は今の耶輸多羅女、今、法華経の勧持品にして具足千万光相如来これなり。
悉達太子、檀特山に入り給いしには、金泥駒、帝釈の化身。摩騰迦・竺法蘭の経を漢土に渡せしには、十羅刹、化して白馬となり給う。この馬も法華経の道なれば、百二十年御さかえの後、霊山浄土へ乗り給うべき御馬なり。恐々謹言。
建治三年丁丑三月二日 日蓮 花押
兵衛志殿女房
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(172)兵衛志殿女房御書 | 建治3年(’77)3月2日 | 56歳 | 池上宗長の妻 |