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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 この釈に三障と申すは、煩悩障・業障・報障なり。煩悩障と申すは、貪・瞋・癡等によりて障礙出来すべし。業障と申すは、妻子等によりて障礙出来すべし。報障と申すは、国主・父母等によりて障礙出来すべし。また四魔の中に天子魔と申すもかくのごとし。
 今、日本国に「我も止観を得たり、我も止観を得たり」と云う人々、誰か三障四魔競える人あるや。「これに随えば、人を将いて悪道に向かわしむ」と申すは、ただ三悪道のみならず、人天、九界を皆悪道とかけり。されば、法華経をのぞいて華厳・阿含・方等・般若・涅槃・大日経等なり。天台宗を除いて余の七宗の人々は、人を悪道に向かわしむる獄卒なり。天台宗の人々の中にも、法華経を信ずるようにて人を爾前へやるは、悪道に人をつかわす獄卒なり。
 今、二人の人々は隠士と烈士とのごとし。一りもかけなば成ずべからず。譬えば、鳥の二つの羽、人の両眼のごとし。
 また二人の御前たちはこの人々の檀那ぞかし。女人となることは、物に随って物を随える身なり。夫たのしくば妻もさかうべし。夫盗人ならば妻も盗人なるべし。これひとえに、今生ばかりのことにはあらず。世々生々に、影と身と、花と果と、根と葉とのごとくにておわするぞかし。木にすむ虫は木をはむ。水にある魚は水をくらう。芝かるれば蘭なく、松さかうれば柏よろこぶ。草木すら、かくのごとし。比翼と申す鳥は、身は一つにて頭二つあり。二つの口より入る物、一身を養う。ひぼくと申す魚は、一目ずつある故に、一生が間はなるることなし。夫と妻とは、かくのごとし。この法門のゆえには、たとい夫に害せらるるとも、悔ゆることなかれ。一同して夫の心をいさめば、竜女が跡を