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喜根比丘を笑ってこそ無量劫が間地獄に堕ちつれ。
今また日蓮が弟子檀那等はこれにあたれり。法華経には「如来の現に在すすらなお怨嫉多し。いわんや滅度して後をや」。また云わく「一切世間に怨多くして信じ難し」。涅槃経に云わく「横しまに死殃に羅り、呵責・罵辱・鞭杖・閉繫・飢餓・困苦、かくのごとき等の現世の軽報を受けて、地獄に堕ちず」等云々。般泥洹経に云わく「衣服足らず、飲食麤疎、財を求むるに利あらず、貧賤の家および邪見の家に生まれ、あるいは王難に遭い、および余の種々の人間の苦報あらん。現世に軽く受くるは、これ護法の功徳力に由るが故なり」等云々。文の心は、我ら過去に正法を行じける者にあだをなしてありけるが、今かえりて信受すれば、過去に人を障げつる罪にて未来に大地獄に堕つべきが、今生に正法を行ずる功徳強盛なれば、未来の大苦をまねきこして少苦に値うなり。
この経文に、過去の誹謗によりてようようの果報をうくるなかに、あるいは貧家に生まれ、あるいは邪見の家に生まれ、あるいは王難に値う等云々。この中に「邪見の家」と申すは誹謗正法の家なり。「王難」等と申すは悪王に生まれあうなり。この二つの大難は各々の身に当たっておぼえつべし。過去の謗法の罪滅せんとて、邪見の父母にせめられさせ給う。また法華経の行者をあだむ国主にあえり。経文明々たり、経文赫々たり。我が身は過去に謗法の者なりけること疑い給うことなかれ。これを疑って現世の軽苦忍びがたくて、慈父のせめに随って、存の外に法華経をすつるよしあるならば、我が身地獄に堕つるのみならず、悲母も慈父も大阿鼻地獄に堕ちて、ともにかなしまんこと疑いなかるべし。大道心と申すはこれなり。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(171)兄弟抄 | 建治2年(’76)4月 | 55歳 | 池上宗仲・池上宗長 |