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らべおきて、一塵を一劫として、経尽くしては、また始めまた始め、かくのごとく上の諸の塵の尽くし経たるを三千塵点とは申すなり。
今、三周の声聞と申して、舎利弗・迦葉・阿難・羅云なんど申す人々は、過去遠々劫・三千塵点劫のそのかみ、大通智勝仏と申せし仏の第十六の王子にておわせし菩薩ましましき。かの菩薩より法華経を習いけるが、悪縁にすかされて法華経をすつる心つきにけり。かくして、あるいは華厳経へおち、あるいは般若経へおち、あるいは大集経へおち、あるいは涅槃経へおち、あるいは大日経、あるいは深密経、あるいは観経等へおち、あるいは阿含小乗経へおちなんどしけるほどに、次第に堕ちゆきて、後には人天の善根、後に悪におちぬ。かくのごとく堕ちゆくほどに、三千塵点劫が間、多分は無間地獄、少分は七大地獄、たまたまには一百余の地獄、まれには餓鬼・畜生・修羅なんどに生まれ、大塵点劫なんどを経て、人天には生まれ候いけり。
されば、法華経の第二の巻に云わく「常に地獄に処すること、園観に遊ぶがごとく、余の悪道に在ること、己が舎宅のごとし」等云々。十悪をつくる人は等活・黒縄なんど申す地獄に堕ちて五百生、あるいは一千歳を経、五逆をつくる人は無間地獄に堕ちて一中劫を経て、後はまたかえり生ず。いかなることにや候らん、法華経をすつる人は、すつる時はさしも父母を殺すなんどのようにおびただしくはみえ候わねども、無間地獄に堕ちては多劫を経候。たとい父母を一人・二人・十人・百人・千人・万人・十万人・百万人・億万人なんど殺して候とも、いかんが三千塵点をば経候べき。一仏・二仏・十仏・百仏・千仏・万仏、乃至億万仏を殺したりとも、いかんが五百塵点劫をば経候べき。しかる
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(171)兄弟抄 | 建治2年(’76)4月 | 55歳 | 池上宗仲・池上宗長 |