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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 また法師品のごとくんば「末代に法華経を弘通せん者は如来の使いなり。この人を軽賤するの輩の罪は、教主釈尊を一中劫に蔑如するに過ぎたり」等云々。今の日本国には、提婆達多・大慢婆羅門等がごとく無間地獄に堕つべき罪人、国中三千五百八十七里の間に満つるところの四十五億八万九千六百五十九人の衆生これ有り。彼の提婆・大慢等の無極の重罪をこの日本国の四十五億八万九千六百五十九人に対せば、軽罪の中の軽罪なり。
 問う。その理、いかん。
 答う。彼らは悪人たりといえども、全く法華を誹謗する者にはあらざるなり。また提婆達多は恒河第二の人なり。第二は一闡提なり。今の日本国の四十五億八万九千六百五十九人は、皆、恒河第一の罪人なり。
 しからば則ち、提婆が三逆罪は軽毛のごとし、日本国の上に挙ぐるところの人々の重罪はなお大石のごとし。定めて梵釈も日本国を捨て、同生同名も国中の人を離れ、天照太神・八幡大菩薩もいかでかこの国を守護せん。
 去ぬる治承等の八十一・二・三・四・五代の五人の大王と、頼朝・義時と、この国を御諍いあって、天子と民との合戦なり。なお鷹駿と金鳥との勝負のごとくなれば、天子の頼朝等に勝たんこと必定なり、決定なり。しかりといえども、五人の大王は負け畢わんぬ。兎、師子王に勝ちしなり。負くるのみにあらず、あまつさえ、あるいは蒼海に沈み、あるいは島々に放たる。誹謗法華いまだ年歳を積まざる時、なおもってかくのごとし。今度は彼に似るべからず。彼はただ国中の災いばかりなり。