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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

王臣の御きえもまた伝教・弘法にも超過してみえ候えば、えい山、七寺、日本一州一同に「法華経は大日経におとり」と云々。法華経の弘通の寺々ごとに真言ひろまりて法華経のかしらとなれり。かくのごとくして、すでに四百余年になり候いぬ。ようやくこの邪見ぞうじょうして、八十一乃至五の五王、すでにうせぬ。仏法うせしかば、王法すでにつき畢わんぬ。
 あまつさえ、禅宗と申す大邪法、念仏宗と申す小邪法、真言と申す大悪法、この悪宗、はなをならべて一国にさかんなり。天照太神はたましいをうしなってうじこをまぼらず、八幡大菩薩は威力よわくして国を守護せず、けっくは他国の物とならんとす。日蓮このよしを見るゆえに、「仏法の中の怨」「ともに地獄に堕ちん」等のせめをおそれてほぼ国主にしめせども、かれらが邪義にたぼらかされて信じ給うことなし。還って大怨敵となり給いぬ。
 法華経をうしなう人、国中に充満せりと申せども、人しることなければ、ただぐちのとがばかりにてあること。今はまた法華経の行者出来せり。日本国の人々、癡かの上にいかりをおこす。邪法をあいし、正法をにくむ。三毒ごうじょうなる一国、いかでか安穏なるべき。壊劫の時は大の三災おこる。いわゆる火災・水災・風災なり。また減劫の時は小の三災おこる。ゆわゆる飢渇・疫病・合戦なり。飢渇は大貪よりおこり、やくびょうはぐちよりおこり、合戦は瞋恚よりおこる。今、日本国の人々四十九億九万四千八百二十八人の男女、人々ことなれども、同じく一つの三毒なり。いわゆる、南無妙法蓮華経を境としておこれる三毒なれば、人ごとに、釈迦・多宝・十方の諸仏を一時にのり、せめ、流しうしなうなり。これ即ち小の三災の序なり。