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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

味のごとし。阿含経は醍醐味なり。阿含経は乳味のごとく、観経等の一切の方等部の経は酪味のごとし。一切の般若経は生蘇味、華厳経は熟蘇味、無量義経と法華経と涅槃経とは醍醐のごとし。また涅槃経は醍醐のごとし、法華経は五味の主のごとし。妙楽大師云わく「もし教旨を論ぜば、法華はただ開権・顕遠のみをもって教の正主となす。独り妙の名を得。意ここに在り」云々。また云わく「故に知んぬ、法華はこれ醍醐の正主なることを」等云々。この釈は、正しく法華経は五味の中にはあらず。この釈の心は、五味は寿命をやしなう、寿命は五味の主なり。
 天台宗には二つの意あり。一には、華厳・方等・般若・涅槃・法華は、同じく醍醐味なり。この釈の心は、爾前と法華とを相似せるににたり。世間の学者等、この筋のみを知って、法華経は五味の主と申す法門に迷惑せるゆえに、諸宗にたぼらかさるるなり。「開・未開異なれども、同じく円なり」と云々。これは迹門の心なり。「諸経は五味、法華経は五味の主」と申す法門は、本門の法門なり。この法門は、天台・妙楽ほぼ書かせ給い候えども、分明ならざるあいだ、学者の存知すくなし。
 この釈に「もし教旨を論ぜば」とかかれて候は、法華経の題目を「教旨」とはかかれて候。「開権」と申すは、五字の中の「華」の一字なり。「顕遠」とかかれて候は、五字の中の「蓮」の一字なり。「独り妙の名を得」とかかれて候は、「妙」の一字なり。「意ここに在り」とかかれて候は、法華経を一代の意と申すは題目なりとかかれて候ぞ。これをもって知るべし、法華経の題目は一切経の神、一切経の眼目なり。
 大日経等の一切経をば法華経にてこそ開眼供養すべきところに、大日経等をもって一切の木画の仏