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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(149)

金吾殿御返事

 文永6年(ʼ69)11月28日 48歳 (大田乗明)

 大師講に鵝目五連給び候い了わんぬ。この大師講、三・四年に始めて候が、今年は第一にて候いつるに候。
 そもそも、この法門のこと、勘文の有無に依って弘まるべきか、弘まらざるか。
 去年方々に申して候いしかども、いなせの返事候わず候。今年十一月の比、方々へ申して候えば、少々返事あるかたも候。おおかた人の心もやわらぎて、さもやとおぼしたりげに候。また上のげんざんにも入って候やらん。
 これほどの僻事申して候えば、流・死の二罪の内は一定と存ぜしが、いままでなにと申すことも候わぬは不思議とおぼえ候。いたれる道理にて候やらん。また自界叛逆難の経文も値うべきにて候やらん。山門なんども、いにしえにも百千万億倍すぎて動揺とうけたまわり候。それならず、子細ども候やらん。震旦・高麗すでに禅門・念仏になりて守護の善神の去るかのあいだ、彼の蒙古に従い候いぬ。我が朝もまた、この邪法弘まって、天台法華宗を忽諸するのゆえに山門安穏ならず。師檀違叛の国と成り候いぬれば、十が八・九はいかんがとみえ候。