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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

道・海道・北陸道の三道より十九万騎の兵者を指し登す。同じき六月十三日、その夜の戌亥時より青天にわかに陰って震動・雷電して、武士どもの首の上に鳴り懸かり鳴り懸かりし上、車軸のごとき雨は篠を立つるがごとし。ここに十九万騎の兵者等、遠き道は登りたり、兵乱に米は尽きぬ、馬は疲れたり、在家の人は皆隠れ失せぬ、冑は雨に打たれて綿のごとし。武士ども、宇治・勢田に打ち寄せて見ければ、常には三丁四丁の河なれども、既に六丁七丁十丁に及ぶ。しかるあいだ、一丈二丈の大石は枯れ葉のごとく浮かび、五丈六丈の大木流れ塞がること間無し。昔俊綱・高綱等が渡せし時には似るべくも無し。武士これを見て皆臆してこそ見えたりしか。しかりといえども、今日を過ごせば皆心を翻し堕ちぬべし。さる故に馬筏を作ってこれを渡すところ、あるいは百騎、あるいは千万騎、かくのごとく皆我も我もと渡るといえども、あるいは一丁、あるいは二丁三丁渡るようなりといえども、彼の岸に付く者は一人も無し。しかるあいだ、緋綴・赤綴等の冑、その外、弓箭兵杖、白星の甲等の河中に流れ浮かぶことは、なお長月・神無月の紅葉の吉野・立田河に浮かぶがごとし。
 ここに叡山・東寺・七寺・園城等の高僧等これを聞くことを得て、真言の秘法・大法の験とこそ悦び給いける。内裏の紫宸殿には、山の座主・東寺・御室、五壇・十五壇の法をいよいよ盛んに行われければ、法皇の御叡感極まり無く、玉の厳りを地に付け、大法師等の御足を御手にて摩で給いしかば、大臣・公卿等は庭の上へ走り落ち、五体を地に付け、高僧等を敬い奉る。
 また、宇治・勢田にむかえたる公卿・殿上人は、甲を震い挙げて、大音声を放って云わく「義時所従の毛人ら、たしかに承れ。昔より今に至るまで、王法に敵を作し奉る者は、何者か安穏なるや。