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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(146)

法衣書

 弘安3年(ʼ80)* 富木家

 御衣布ならびに単衣布、給び候い了わんぬ。
 そもそも、食は命をつぎ、衣は身をかくす。食を有情に施すものは長寿の報をまねき、人の食を奪うものは短命の報をうく。衣を人にほどこさぬ者は、世々、生ずるところに裸形の報をかんず。六道の中に、人道已下は皆、形裸にして生まる。天は随生衣なり。その中の鹿等は、無衣にして生まるのみならず、人の衣をぬすみしゆえに身の皮を人にはがれて、盗みし衣をつぐのうほうをえたり。人の中にも、鮮白比丘には、生ぜし時、衣を被て生まれぬ。
 仏法の中にも裸形にして法を行ずる道なし。故に、釈尊は摩訶大母比丘尼の衣を得て正覚をなり給いき。諸の比丘には三衣をゆるされき。鈍根の比丘は、衣食ととのわざれば阿羅漢果を証せずとみえて候。
 殊に法華経には「柔和忍辱衣」と申して、衣をこそ本とみえて候え。また法華経の行者をば衣をもって覆わせ給うと申すも、ねんごろなるぎなり。
 日蓮は、無戒の比丘、邪見の者なり。故に、天これをにくませ給いて、食・衣ともしき身にて候。