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等、律宗の道宣等、初めには反逆を存し、後には一向に帰伏せしなり。
ただし、初めの大難を遮せば、無量義経に云わく「譬えば、国王と夫人の新たに王子を生ぜんがごとし。もしは一日、もしは二日、もしは七日に至り、もしは一月、もしは二月、もしは七月に至り、もしは一歳、もしは二歳、もしは七歳に至り、また国事を領理すること能わずといえども、すでに臣民の宗敬するところとなり、諸の大王の子をば、もって伴侶となさん。王および夫人は、愛心ひとえに重くして、常にともに語らん。所以はいかん。稚小なるをもっての故なり。善男子よ。この持経者もまたかくのごとく、諸仏の国王とこの経の夫人と和合して、共にこの菩薩の子を生ず。もし菩薩、この経のもしは一句、もしは一偈、もしは一転、もしは二転、もしは十、もしは百、もしは千、もしは万、もしは億万恒河沙無量無数転ずるを聞くことを得ば、また真理の極を体ること能わずといえども乃至すでに一切の四衆八部の宗仰するところとなり、諸の大菩薩をば、もって眷属となさん乃至常に諸仏の護念するところとなり、慈愛にひとえに覆われん。新学なるをもっての故なり」等云々。
普賢経に云わく「この大乗経典は、諸仏の宝蔵なり。十方三世の諸仏の眼目なり。乃至、三世の諸の如来を出生する種なり乃至汝は大乗を行じて、仏種を断たざれ」等云々。また云わく「この方等経は、これ諸仏の眼なり。諸仏はこれに因って五眼を具することを得たまえり。仏の三種の身は、方等より生ず。これ大法印なり。涅槃海を印す。かくのごとき海中より能く三種の仏の清浄の身を生ず。この三種の身は、人天の福田なり」等云々。
夫れ以んみれば、釈迦如来一代の顕密・大小の二教、華厳・真言等の諸宗の依経、往ってこれを勘
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(006)如来滅後五五百歳始観心本尊抄(観心本尊抄) | 文永10年(’73)4月25日 | 52歳 |