1327ページ
となるなり。
難じて云わく、火より水出でず、石より草生ぜず。悪因は悪果を感じ、善因は善報を生ずるは、仏教の定まれる習いなり。しかるに、我らその根本を尋ね究むれば、父母の精血、赤白二渧和合して一身となる。悪の根本、不浄の源なり。たとい大海を傾けてこれを洗うとも清浄なるべからず。また、この苦果の依身は、その根本を探り見れば、貪・瞋・癡の三毒より出ずるなり。この煩悩・苦果の二道によって業を構う。この業道即ちこれ結縛の法なり。譬えば籠に入れる鳥のごとし。いかんぞこの三道をもって三仏因と称するや。譬えば、糞を集めて栴檀を造れども、終に香しからざるがごとし。
答う。汝が難、大いに道理なり。我、このことを弁えず。ただし、付法蔵の第十三、天台大師の高祖たる竜樹菩薩、妙法の妙の一字を釈して、「譬えば、大薬師の能く毒をもって薬となすがごとし」等云々。「毒」というは何物ぞ、我らが煩悩・業・苦の三道なり。「薬」とは何物ぞ、法身・般若・解脱なり。「能く毒をもって薬となす」とは何物ぞ、三道を変じて三徳となすのみ。天台云わく「妙は不可思議に名づく」等云々。また云わく「夫れ、一心乃至不可思議境、意ここに在り」等云々。即身成仏と申す、これはこれなり。近代の華厳・真言等、この義を盗み取って我が物となす。大偸盗、天下の盗人これなり。
問うて云わく、凡夫の位もこの秘法の心を知るべきや。
答う。私の答えは詮無し。竜樹菩薩、大論〈九十三なり〉に云わく「今、『漏尽の阿羅漢還って作仏す』と言うは、ただ仏のみ能く知ろしめす。論議者は正しくそのことを論ずべきも、測り知ること能
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(138)始聞仏乗義 | 建治4年(’78)2月28日 | 57歳 | 富木常忍 |