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しかるに、文永十年十二月七日、武蔵前司殿より佐土国へ下す状に云わく〈自判これ在り〉、
「佐渡国の流人の僧・日蓮、弟子等を引率し、悪行を巧むの由、その聞こえ有り。所行の企て、はなはだもって奇怪なり。今より以後、彼の僧に相随うの輩においては、炳誡を加えしむべし。なおもって違犯せしめば、交名を注進せらるべきの由候ところなり。よって執達件のごとし。
文永十年十二月七日 沙門観恵、上る。
依智六郎左衛門尉殿」等云々。
この状に云わく「悪行を巧む」等云々。外道云わく「瞿曇は大悪人なり」等云々。また九横の難、一々にこれ在り。いわゆる、琉璃の釈を殺すと乞食空鉢と寒風に衣を索むるとは、仏世に超過せる大難なり。恐らくは、天台・伝教もいまだこの難に値いたまわず。当に知るべし、三人に日蓮を入れ四人となして、法華経の行者、末法に有るか。喜ばしいかな、「いわんや滅度して後をや」の記文に当たれり。悲しいかな、国中の諸人、阿鼻獄に入らんこと。茂きを厭って子細にこれを記さず。心をもってこれを惟え。
文永十一年甲戌正月十四日 日蓮 花押
一切の諸人、これを見聞し、志有らん人々は、互いにこれを語れ。
追って申す。
竜樹・天親は共に千部の論師なり。ただし、権大乗を申べて、法華経をば心に存して口に吐きたまわず〈これに口伝有り〉。天台・伝教はこれを宣べて、本門の本尊と四菩薩、戒壇、南無妙法蓮華経
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(127)法華行者逢難事 | 文永11年(’74)1月14日 | 53歳 | 門下一同 |