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この涅槃経の文は、一切の外道、我が本師たる二天三仙の説くところの経典を仏陀に毀られて出だすところの悪言なり。法華経の文は、仏を怨となす経文にはあらず。天台の意に云わく「一切の声聞・縁覚ならびに近成を楽う菩薩」等云々。聞かんと欲せず、信ぜんと欲せず、その機に当たらざるは、言を出だして謗ることなきも、皆怨嫉の者と定め了わんぬ。
在世をもって滅後を惟うに、一切諸宗の学者等は皆、外道のごとし。彼らが云う「一りの大悪人」とは、日蓮に当たれり。「一切の悪人これに集まる」とは、日蓮が弟子等これなり。彼の外道は先仏の説教流伝の後、これを謬って後仏を怨となせり。今、諸宗の学者等も、またまたかくのごとし。詮ずるところ、仏教に依って邪見を起こす。目の転ずる者、大山転ずと欲う。
今、八宗・十宗等、多門の故に諍論を至す。
涅槃経の第十八に「贖命の重宝」と申す法門あり。天台大師、料簡して云わく「『命』とは法華経なり。『重宝』とは涅槃経に説くところの前の三教なり」。ただし、涅槃経に説くところの円教はいかん。この法華経に説くところの仏性常住を重ねてこれを説いて本に帰せしめ、涅槃経の円常をもって法華経に摂む。涅槃経の得分は、ただ前の三教に限る。
天台、玄義の三に云わく「涅槃は贖命の重宝なり。重ねて掌を扺つのみ」文。籤の三に云わく「今家の引意は、大経の部を指して、もって重宝となす」等云々。天台大師、四念処と申す文に法華経の「種々の道を示すといえども」の文を引いて、先の四味をまた重宝と定め了わんぬ。もししからば、法華経の先後の諸経は法華経のための重宝なり。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(120)寺泊御書 | 文永8年(’71)10月22日 | 50歳 | 富木常忍 |