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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

の人々を結構せさせ給う国主の科と、国を思い生処を忍んで兼ねて勘え告げ示すを用いずして還って怨をなす大科、先例を思えば、呉王・夫差の伍子胥が諫めを用いずして越王・勾践にほろぼされ、殷の紂王が比干が言をあなずりて周の武王に責められしがごとし。
 しかるに、光日尼御前は、いかなる宿習にて法華経をば御信用ありけるぞ。また故弥四郎殿が信じて候いしかば、子の勧めか。この功徳空しからざれば、子とともに霊山浄土へ参り合わせ給わんこと、疑いなかるべし。烏竜といいし者は、法華経を謗じて地獄に堕ちたりしかども、その子に遺竜といいし者、法華経を書いて供養せしかば、親、仏に成りぬ。また妙荘厳王は悪王なりしかども、御子の浄蔵・浄眼に導かれて、娑羅樹王仏と成らせ給う。その故は、子の肉は母の肉、母の骨は子の骨なり。松栄うれば柏悦ぶ。芝かるれば蘭なく。情無き草木すら、友の喜び友の歎き一つなり。いかにいわんや、親と子との契り、胎内に宿して九月を経て生み落とし、数年まで養いき。彼にになわれ、彼にとぶらわれんと思いしに、彼をとぶらううらめしさ、後いかんがあらんと思うこころぐるしさ、いかにせん、いかにせん。子を思う金鳥は火の中に入りにき。子を思いし貧女は恒河に沈みき。彼の金鳥は今の弥勒菩薩なり。彼の河に沈みし女人は大梵天王と生まれ給えり。いかにいわんや、今の光日上人は子を思うあまりに法華経の行者と成り給う。母と子と、ともに霊山浄土へ参り給うべし。その時、御対面いかにうれしかるべき、いかにうれしかるべき。
  八月八日    日蓮 花押
 光日上人御返事