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経を読み行ずるにてこそ候え。人間に生を受けて、これほどの悦びは何事か候べき。
凡夫の習い、我とはげみて菩提心を発して後生を願うといえども、自ら思い出だし、十二時の間に一時二時こそははげみ候え。これは思い出ださぬにも、御経をよみ読まざるにも、法華経を行ずるにて候か。無量劫の間、六道四生を輪回し候いけるには、あるいは謀叛をおこし、強盗・夜打ち等の罪にてこそ国主より禁をも蒙り、流罪・死罪にも行われ候らめ。これは法華経を弘むるかと思う心の強盛なりしによって、悪業の衆生に讒言せられてかかる身になりて候えば、定めて後生の勤めにはなりなんと覚え候。これほどの、心ならぬ昼夜十二時の法華経の持経者は、末代には有りがたくこそ候らめ。
またやんごとなくめでたきこと侍り。無量劫の間、六道に回り候いけるには、多くの国主に生まれ値い奉って、あるいは寵愛の大臣・関白等ともなり候いけん。もししからば、国を給わり、財宝・官禄の恩を蒙りけるか。法華経流布の国主に値い奉り、その国にて法華経の御名を聞いて修行し、これを行じて讒言を蒙り流罪に行われまいらせて候国主には、いまだ値いまいらせ候わぬか。法華経に云わく「この法華経は無量の国の中において、乃至名字をも聞くことを得べからず。いかにいわんや、見ることを得、受持し読誦せんをや」云々。されば、この讒言の人、国主こそ、我が身には恩深き人にはおわしまし候らめ。
仏法を習う身には必ず四恩を報ずべきに候か。四恩とは、心地観経に云わく、一には一切衆生の恩。一切衆生なくば、衆生無辺誓願度の願を発し難し。また、悪人無くして菩薩に留難をなさずば、
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(104)四恩抄 | 弘長2年(’62)1月16日 | 41歳 | 工藤殿 |