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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

に云わく「もし人信ぜずして、この経を毀謗せば、則ち一切世間の仏種を断ぜん」云々。この「蓮華」に迷うが故に、十界具足無し。十界具足せざれば、一念三千跡形無きなり。一切の法門は、「蓮華」の二字より起これり。一代説教において無得道と云うも、「蓮華」の二字より起これり。深くこれを案ずべし云々。
一、「序品」の事
  このことは、教主釈尊、法華経を説き給わんとて、まず瑞相の顕れたることを云うなり。今、末法に入って南無妙法蓮華経の顕れ給うべき瑞相は、彼には百千万倍勝るべきなり。その故は、雨は竜の大小により、蓮華は池の浅深に随って、その色不同なるがごとくなるべし云々。
一、「品」と云う事
  「品」とは、釈に云わく「義類同」と云えり。この法華経は三仏寄り合い給いて定判し給えり。「三仏」とは、釈迦・多宝・分身これなり。この三仏、評定してのたまわく「『一切衆生皆成仏道』は、法華経に限って有り」と。「皆是真実(皆これ真実なり)」の証明、「舌相梵天」の誠証、「要当説真実(要ず当に真実を説くべし)」の金言、これらを義類同して題したる「品」の字なり。天竺には「跋渠」と云う。ここには「品」と云えり。釈迦・多宝・分身の三仏の御口をもって指し合わせ、同音に定判し給える我ら衆生の成仏なり。譬えば、鳥の卵の内より卵をつつく時、母また同じくつつきあくるに、同じき所をつつきあくるがごとし。これ即ち念慮の感応するが故なり。今、法華経の成仏もかくのごとくなり。三世諸仏の同音同時に定め給える成仏なり。故に、経に云わく「従仏口