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一、勧発品
御義口伝に云わく、この品は再演法華なり。本迹二門の極理、この品に至極するなり。慈覚大師云わく「十界の衆生は発心修行す」と釈したもうは、この品のことなり。詮ずるところ、この品と序品とは生死の二法なり。序品は我ら衆生の生なり。この品は一切衆生の死なり。生死一念なるを妙法蓮華経と云うなり。品々において初めの題号は生の方、終わりの方は死の方なり。この法華経は生死生死と転りたり。
生の故に始めに「如是我聞(かくのごときを我聞きき)」と置く。「如」は生の義なり。死の故に終わりに「作礼而去(礼を作して去りにき)」と結したり。「去」は死の義なり。「作礼」の言は、生死の間に成しと成すところの我ら衆生の所作なり。この所作とは、妙法蓮華経なり。「礼」とは不乱の義なり。法界妙法なれば、不乱なり。天台大師云わく「体の字は礼と訓ず。礼は法なり。各々その親を親とし、各々その子を子とす。出世の法体も、またかくのごとし」。「体」とは、妙法蓮華経のことなり。まず体玄義を釈するなり。「体」とは十界の異体なり。これを法華経の体とせり。これらを「作礼而去」とは説かれたり。法界の千草万木、地獄・餓鬼等、いずれの界も諸法実相の「作礼」にあらずということなし。これ即ち「普賢菩薩」なり。「普」とは法界、「賢」とは「作礼而去」なり。これ即ち妙法蓮華経なり。
ここをもって品々の初めにも五字を題し、終わりにも五字をもって結し、前後・中間、南無妙法蓮華経の七字なり。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(095)御義口伝 |