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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

「念天(天を念ず)」とは、「諸天昼夜、常為法故、而衛護之(諸天は昼夜に、常に法のための故に、しかもこれを衛護す)」の意なり。末法当今の行者の上なり。これを思うべきなり云々。
第四 「一切業障海 皆従妄想生 若欲懺悔者 端坐思実相 衆罪如霜露 慧日能消除(一切の業障海は、皆妄想より生ず。もし懺悔せんと欲せば、端坐して実相を思え。衆罪は霜露のごとく、慧日は能く消除す)」の事
  御義口伝に云わく、「衆罪」とは、六根において業障降り下ることは霜露のごとし。しかりといえども、「慧日」をもって能く消除すと云えり。「慧日」とは、末法当今、日蓮の弘むるところの南無妙法蓮華経なり。「慧日」とは、仏に約し、法に約するなり。釈尊をば慧日大聖尊と申すなり。法華経を「又如日天子能除諸闇(また日天子は能く諸の闇を除くがごとし)」と説かれたり。末法の導師を「如日月光明(日月の光明のごとし)」等と説かれたり。
第五 「正法治国、不邪枉人民(正法もて国を治め、人民を邪枉せず)」の事
  御義口伝に云わく、末法の正法とは南無妙法蓮華経なり。この五字は一切衆生をたぼらかさぬ秘法なり。
  正法を天下一同に信仰せば、この国安穏ならん。されば、玄義に云わく「もしこの法によらば、則ち天下泰平ならん」。「この法」とは、法華経なり。法華経を信仰せば、天下安全たらんこと疑いあるべからざるなり云々。

已上、二百三十一箇条の大事