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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

には日本国、日本国の中には相模国、相模国の中には片瀬、片瀬の中には竜の口に日蓮が命をとどめおくことは、法華経の御故なれば、寂光土ともいうべきか。神力品に云わく「もしは林中においても、もしは園中においても、もしは山谷曠野にても、この中に乃至般涅槃したもう」とは、これか。
 かかる日蓮にともないて、法華経の行者として腹を切らんとのたもうこと、かの弘演が腹をさいて主の懿公がきもを入れたるよりも、百千万倍すぐれたることなり。日蓮、霊山にまいりて、まず「四条金吾こそ、法華経の御故に、日蓮とおなじく腹切らんと申し候なり」と申し上げ候べきぞ。
 またかまくらどのの仰せとて、内々佐渡国へつかわすべき由承り候。三光天子の中に、月天子は光り物とあらわれ竜の口の頸をたすけ、明星天子は四・五日已前に下って日蓮に見参し給う。いま日天子ばかりのこり給う。定めて守護あるべきかと、たのもし、たのもし。
 法師品に云わく「則ち変化の人を遣わして、これがために衛護と作さん」。疑いあるべからず。安楽行品に云わく「刀杖も加えず」。普門品に云わく「刀は尋いで段々に壊れなん」。これらの経文、よも虚事にては候わじ。強盛の信力こそありがたく候え。恐々謹言。
  文永八年九月二十一日    日蓮 花押
 四条金吾殿