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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 籤の三に云わく「已〈法華已前の華・阿・方・般等の一切経〉今〈無量義経なり〉当〈涅槃経等の法華已後の一切経なり〉の妙、ここにおいて固く迷えり。舌爛れて止まざることは、なおこれ華報なり。謗法の罪は、苦長劫に流る」
 南三北七ならびに華厳宗の法蔵・澄観、真言宗の日本の弘法等は、法華経よりも華厳経を勝るとするなり。また三論の嘉祥は、法華経よりも般若経を勝るとす。また法相の慈恩等は、法華経よりも深密経を勝るとす。また真言宗の善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵等は、法華経よりも大日経を勝るとするなり。これらの宗々の相違いかん、相違いかん。
 授決集に云わく〈円珍智証大師〉、
 「文は大経に出でたり。人のこれを会することなし。光は盲の前に在れども、他においては無用なり。仏分明に五味の喩えを説き、五時の教えに喩えたもう云々。訳有ってより来、講者路に溢るれども、いまだかつて五味を談ずるの義を解せず。己が胸臆に任せてたやすく囈語す。何ぞ象に触るる衆盲の者に異ならんや。天台世に出でて、仏意快く暢ぶ。あに万教再び世間に演ぶるにあらずや。南北の講匠、経論を釈する者、各教時を立つれども、百にして一つも是なることなし。ただ教部の前後・頓漸・権実・大小・麤妙・寛狭・進否に迷うに縁ってなり。大教の網を張って法界の海に亘し、人天の魚を済って涅槃の岸に置く。かくのごときも、その遺漏を恐る。いわんや諸師の輩の羅の一目をや。いずれの時にか鳥を得ん。もし万蔵を暗んずといえども、この理趣を会せずんば、終年他の宝を計えて自ら半銭の分無く、虚しく諍論を益し、長氷に水を添うるのみ」