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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

遠を聞くをや。『見思いまだ除かざるなり』とは、しばらく譬えの中の『幼稚』の言を消す。定めていまだ遠を知らず」
 玄の一に云わく「厚く善根を殖えて、この頓説を感ず」文
 籤の一に云わく「一往は総じて別・円をもって『厚く』となす」
 五百問論に云わく「一経の中に本をもって主となす」文
 また云わく「一代の教えの中に、いまだかつて遠を顕さず。父母の寿は知らざるべからず。始めてこの中において方に遠の本を顕す○ただ恐る。才一国に当たるとも、父母の年を識らずんば、失うところ小と謂うとも辱むるところ至って大なり。もし父の寿の遠きを知らずんば、また父統の邦に迷う。いたずらに才能と謂うとも、全く人の子にあらず」
 文句の九に云わく「菩薩に三種有り。下方と他方と旧住となり」
 玄義の七に云わく「もし迹因を執して本因となさば、これ迹を知らず、また本を識らず。天月を識らずしてただ池月のみを観ずるがごとし○払迹顕本せば、即ち本地の因妙を知る。影を撥って天を指すがごとし。いかんぞ盆に臨んで漢を仰がざる。ああ聾騃、いかんが道を論ぜんや」
 また云わく「もし迹果を執して本果となさば、これ迹を知らず、また本を識らず。本より迹を垂るるは月の水に現ずるがごとく、迹を払って本を顕すは影を撥って天を指すがごとし。当に、始成の果皆これ迹果なるを撥って、久成の果これ本果なるを指すべきなり」
 また云わく「諸の土はことごとく迹土なり。一には今仏の栖む所なるが故に。二には前後修立す