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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

に歎かざらんや、あに驚かざらんや。
 日蓮が申すこと御用いなくんば、定めて後悔これ有るべし。日蓮は法華経の御使いなり。経に云わく「則ち如来の使いにして、如来に遣わされて、如来の事を行ず」。三世諸仏の事とは、法華経なり。
 この由、方々へこれを驚かし奉る。一所に集めて御評議有って御報に予かるべく候。詮ずるところ、万祈を抛って諸宗を御前に召し合わせ、仏法の邪正を決し給え。澗底の長松いまだ知らざるは良匠の誤り、闇中の錦衣いまだ見ざるは愚人の失なり。
 三国において仏法の分別は殿前に在り。いわゆる、阿闍世・陳隋・桓武これなり。あえて日蓮が私曲にあらず。ただひとえに大忠を懐くが故なり。身のためにこれを申さず。神のため、君のため、国のため、一切衆生のために言上せしむるところなり。恐々謹言。
  文永五年戊辰十月十一日    日蓮 花押
 謹上 宿屋入道殿

(065)

宿屋左衛門光則への御状

 文永5年(ʼ68)10月11日 47歳 宿屋光則

 先年勘えたるの書・安国論に符合せるについて、言上せしめ候い畢わんぬ。
 そもそも正月十八日、西戎・大蒙古国より牒状到来すと。これをもってこれを按ずるに、日蓮は聖