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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

陽に在っては五行に法り、世に在っては五常に法り、内に在っては五神に法り、行を修するには五徳に法り、罪を治するには五刑に法る。謂わく墨・劓・剕・宮・大辟なり〈この五刑は人を様々にこれを傷ましむ。その数三千の罰有り。これを五刑と云う〉。主領には五官となす。五官は下の第八の巻に博物志を引くがごとし。謂わく句芒等なり。天に昇っては五雲と曰い、化して五竜となる。心を朱雀となし、腎を玄武となし、肝を青竜となし、肺を白虎となし、脾を勾陳となす」。
 また云わく「五音・五明・六芸、皆これより起こる。また当に内治の法を識るべし。覚心は内に大王となって百重の内に居し、出でては則ち五官に侍衛せらる。肺を司馬となし、肝を司徒となし、脾を司空となし、四支を民子となし、左を司命となし、右を司録となし、人の命を主司る。乃至、臍を太一君となす等と。禅門の中に広くその相を明かす」已上。
 人身の本体委しく検すれば、かくのごとし。しかるに、この金剛不壊の身をもって生滅無常の身なりと思う僻思いは、「譬えば荘周が夢の蝶のごとし」と釈し給えるなり。五行とは地水火風空なり。五大種とも、五薀とも、五戒とも、五常とも、五方とも、五智とも、五時ともいう。ただ一つの物にして経々の異説なり。内典・外典の名目の異名なり。今経にこれを開して一切衆生の心中の五仏性・五智の如来の種子なりと説けり。これ則ち妙法蓮華経の五字なり。この五字をもって人身の体を造るなり。本有常住なり、本覚の如来なり。これを十如是と云う。これを「ただ仏と仏とのみ、いまし能く究尽したまえり」と云う。不退の菩薩と極果の二乗と、少分も知らざる法門なり。しかるを円頓の凡夫は初心よりこれを知るが故に、即身成仏するなり。金剛不壊の体なり。