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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

は親に従って心にまかせず、人となりては男に従って心にまかせず、年よりぬれば子に従って心にまかせず。かように幼き時より老耄に至るまで、三人に従って心にまかせず、思うことをもいわず、見たきことをもみず、聴聞したきことをもきかず、これを三従とは説くなり。されば、栄啓期が三楽を立てたるにも、女人の身と生まれざるを一の楽しみといえり。
 かように内典・外典にも嫌われたる女人の身なれども、この経を読まねども、かかねども、身と口と意とにうけ持って、殊に口に南無妙法蓮華経と唱え奉る女人は、在世の竜女・憍曇弥・耶輸陀羅女のごとくに、やすやすと仏になるべしという経文なり。
 また安楽世界と云うは、一切の浄土をば皆安楽と説くなり。また阿弥陀と云うも、観経の阿弥陀にはあらず。ゆえに観経の阿弥陀仏は法蔵比丘の阿弥陀、四十八願の主、十劫成道の仏なり。法華経にも迹門の阿弥陀は大通智勝仏の十六王子の中の第九の阿弥陀にて、法華経大願の主の仏なり。本門の阿弥陀は釈迦分身の阿弥陀なり。したがって、釈にも「さらに観経等を指すを須いざるなり」と釈し給えり。
 問うて云わく、経に「難解難入」と云えり。世間の人、この文を引いて「法華経は機に叶わず」と申し候は、道理と覚え候は、いかん。
 答えて云わく、謂れなきことなり。その故は、この経を能くも心えぬ人の云うことなり。法華より已前の経は解り難く入り難し。法華の座に来っては解り易く入り易しということなり。されば、妙楽大師の御釈に云わく「法華より已前は不了義なるが故に。故に難解と云う。即ち今の教にはことごと