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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 しかるを、漢土に来って、天台大師の止観等の三十巻を見て、舌をふるい心をまどわして、「これに及ばずば、我が経弘通しがたし。勝れたりといわんとすれば、妄語眼前なり。いかんがせん」と案ぜしほどに、一つの深き大妄語を案じ出だし給う。いわゆる大日経三十一品を法華経二十八品ならびに無量義経に腹あわせに合わせて、三密の中の意密をば法華経に同じ、その上に印と真言とを加えて、法華経は略なり大日経は広なり、已にも入れず今にも入れず当にもはずれぬ。法華経をかとうどとして三説の難を脱れ、結句は印と真言とをもって法華経を打ち落として真言宗を立てて候。譬えば、三女が后と成って三王を喪ぼせしがごとし。法華経の流通の涅槃経の第九に「我滅して後、悪比丘等我が正法を滅すべし。譬えば女人のごとし」と記し給いけるは、これなり。
 されば、善無畏三蔵は閻魔王にせめられて、鉄の縄七脈つけられて、からくして蘇りたれども、また死する時は「黒皮隠々として骨それ露なり」と申して、無間地獄の前相、その死骨に顕し給いぬ。「人死して後、色の黒きは地獄に堕つ」とは、一代聖教に定むるところなり。金剛智・不空等も、またこれをもって知んぬべし。この人々は改悔は有りと見えて候えども、強盛の懺悔のなかりけるか。今の真言師は、またあえて知ることなし。玄宗皇帝の御代の喪びしことも、不審はれて候。
 日本国は、また弘法・慈覚・智証、この謗法を習い伝えて、自身も知ろしめさず。人はまたおもいもよらず。しばらくは法華宗の人々相論有りしかども、終には天台宗ようやく衰えて、五十五代の座主・明雲、人王八十一代の安徳天皇より已来は、叡山一向に真言宗となりぬ。第六十一代の座主・顕真権僧正は、天台座主の名を得て、真言宗に遷るのみならず、しかる後、法華・真言をすてて、一向