518ページ
すでに本懐なれば、しばらくも持つ者もまた本意にかないぬ。また本意に叶わば、仏の恩を報ずるなり。悲母深重の経文心安ければ、「ただ我一人のみ」の御苦しみも、かつがつやすみ給うらん。釈迦一仏の悦び給うのみならず、諸仏出世の本懐なれば、十方三世の諸仏も悦び給うべし。「我は即ち歓喜す。諸仏もまたしかなり」と説かれたれば、仏悦び給うのみならず、神も即ち随喜し給うなるべし。伝教大師これを講じ給いしかば、八幡大菩薩は紫の袈裟を布施し、空也上人これを読み給いしかば、松尾大明神は寒風をふせがせ給う。
されば、「七難即滅、七福即生(七難は即ち滅し、七福は即ち生ぜん)」と祈らんにも、この御経第一なり。「現世安穏」と見えたればなり。他国侵逼難、自界叛逆難の御祈禱にも、この妙典に過ぎたるはなし。「百由旬の内に諸の衰患無からしむ」と説かれたればなり。
しかるに、当世の御祈禱はさかさまなり。先代流布の権教なり。末代流布の最上真実の秘法にあらざるなり。譬えば、去年の暦を用い、烏を鵜につかわんがごとし。これひとえに、権教の邪師を貴んで、いまだ実教の明師に値わせ給わざる故なり。惜しいかな、文・武の卞和があら玉、いずくにか納めけん。嬉しいかな、釈尊出世の髻の中の明珠、今度我が身に得たることよ。十方諸仏の証誠としているかせならず。さこそは「一切世間に怨多くして信じ難し」と知りながら、いかでか一分の疑心を残して、「決定して疑いあることなけん」の仏にならざらんや。
過去遠々の苦しみは、いたずらにのみこそうけこしか。などか、しばらく不変常住の妙因をうえざらん。未来永々の楽しみはかつがつ心を養うとも、しいてあながちに電光朝露の名利をば貪るべから
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(030)持妙法華問答抄 | 弘長3年(’63) | 42歳 |