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れを慎むべし。
つらつら世間を見るに、法をば貴しと申せども、その人をば万人これを悪む。汝、能く能く法の源に迷えり。いかにと云うに、一切の草木は地より出生せり。これをもって思うに、一切の仏法もまた人によりて弘まるべし。これによって、天台は「仏世すらなお人をもって法を顕す。末代いずくんぞ法は貴けれども人は賤しと云わんや」とこそ釈して御坐しまし候え。されば、持たるる法だに第一ならば、持つ人随って第一なるべし、しからば則ち、その人を毀るは、その法を毀るなり。その子を賤しむるは、即ちその親を賤しむなり。ここに知んぬ、当世の人は詞と心とすべてあわず。孝経をもってその親を打つがごとし。あに冥の照覧恥ずかしからざらんや。地獄の苦しみ、恐るべし恐るべし、慎むべし慎むべし。上根に望めても卑下すべからず、下根を捨てざるは本懐なり。下根に望めても憍慢ならざれ、上根ももるることあり、心をいたさざるが故に。
およそ、その里ゆかしけれども、道たえ縁なきには通う心もおろそかに、その人恋しけれども、憑めず契らぬには待つ思いもなおざりなるように、彼の月卿雲客に勝れたる霊山浄土の行きやすきにも、いまだゆかず、「我は即ちこれ父なり」の柔軟の御すがた見奉るべきをも、いまだ見奉らず。これ誠に、袂をくたし胸をこがす歎きならざらんや。
暮れ行く空の雲の色、有明方の月の光までも、心をもよおす思いなり。事にふれおりにつけても後世を心にかけ、花の春、雪の朝も、これを思い、風さわぎ村雲まよう夕べにも忘るる隙なかれ。出ずる息は入る息をまたず。いかなる時節ありてか「毎自作是念」の悲願を忘れ、いかなる月日ありてか
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(030)持妙法華問答抄 | 弘長3年(’63) | 42歳 |