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破して権宗に付き、一切経を捨てて教外を立つ。譬えば、珠を捨てて石を取り、地を離れて空に登るがごとし。これは教法流布の先後を知らざる者なり。
仏誡めて云わく「悪象に値うとも、悪知識に値わざれ」等云々。法華経の勧持品に「後の五百歳・二千余年に当たって、法華経の敵人に三類有るべし」と記し置きたまえり。当世は後の五百歳に当たれり。日蓮、仏語の実否を勘うるに、三類の敵人これ有り。これを隠せば、法華経の行者にあらず。これを顕せば、身命をば定めて喪わんか。
法華経第四に云わく「しかもこの経は、如来の現に在すすらなお怨嫉多し。いわんや滅度して後をや」等云々。同じく第五に云わく「一切世間に怨多くして信じ難し」。また云わく「我は身命を愛せず、ただ無上道を惜しむのみ」。同第六に云わく「自ら身命を惜しまず」云々。涅槃経第九に云わく「譬えば、王使のよく談論して方便に巧みなるもの、命を他国に奉るに、むしろ身命を喪うとも、終に王の説くところの言教を匿さざるがごとく、智者もまたしかなり。凡夫の中において身命を惜しまず、かならず大乗方等を宣説すべし」云々。章安大師釈して云わく「『むしろ身命を喪うとも、教えを匿さず』とは、身は軽く法は重し。身を死して法を弘む」等云々。
これらの本文を見れば、三類の敵人を顕さずんば、法華経の行者にあらず。これを顕すは、法華経の行者なり。しかれども、必ず身命を喪わんか。例せば師子尊者・提婆菩薩等のごとくならん云々。
二月十日 日蓮 花押
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(028)教機時国抄 | 弘長2年(’62)2月10日 | 41歳 |