479ページ
像法一千年は、破戒の者は多く無戒の者は少なし。像法一千年の次の日より末法一万年は、破戒の者は少なく無戒の者は多し。正法には、破戒・無戒を捨てて持戒の者を供養すべし。像法には、無戒を捨てて破戒の者を供養すべし。末法には、無戒の者を供養すること仏のごとくすべし。ただし、法華経を謗ぜん者をば、正像末の三時に亘って、持戒の者をも無戒の者をも破戒の者をも、共に供養すべからず。供養すれば、必ず国に三災七難起こり、供養せん者も必ず無間大城に堕つべきなり。法華経の行者の権経を謗ずるは、主君・親・師の、所従・子息・弟子等を罰するがごとし。権経の行者の法華経を謗ずるは、所従・子息・弟子等の、主君・親・師を罰するがごとし。また当世は、末法に入って二百一十余年なり。権経・念仏等の時か、法華経の時か、能く能く時刻を勘うべきなり。
四に国とは、仏教は必ず国によってこれを弘むべし。国には、寒国・熱国、貧国・富国、中国・辺国、大国・小国、一向偸盗国・一向殺生国・一向不孝国等これ有り。また一向小乗の国、一向大乗の国、大小兼学の国もこれ有り。しかるに、日本国は、一向小乗の国か、一向大乗の国か、大小兼学の国なるか、能く能くこれを勘うべし。
五に教法流布の先後とは、いまだ仏法渡らざる国には、いまだ仏法を聴かざる者あり。既に仏法渡れる国には、仏法を信ずる者あり。必ず先に弘まれる法を知って、後の法を弘むべし。先に小乗・権大乗弘まれば、後に必ず実大乗を弘むべし。先に実大乗弘まれば、後に小乗・権大乗を弘むべからず。瓦礫を捨てて金珠を取るべし。金珠を捨てて瓦礫を取ることなかれ已上。
この五義を知って仏法を弘めば、日本国の国師と成るべきか。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(028)教機時国抄 | 弘長2年(’62)2月10日 | 41歳 |