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見を起こし、一闡提と成り畢わんぬ。仏は、金師に数息観を教え浣衣の者に不浄観を教えたもう。故に、須臾の間に覚ることを得たり。智慧第一の舎利弗すら、なお機を知らず。いかにいわんや、末代の凡師は、機を知り難し。ただし、機を知らざる凡師は、化するところの弟子に一向に法華経を教うべし。
問うて云わく、「無智の人の中にして、この経を説くことなかれ」との文は、いかん。
答えて云わく、機を知るは智人の説法することなり。また謗法の者に向かっては、一向に法華経を説くべし。毒鼓の縁と成さんがためなり。例せば不軽菩薩のごとし。また、智者と成るべき機と知れば、必ずまず小乗を教え、次に権大乗を教え、後に実大乗を教うべし。愚者と知れば、必ずまず実大乗を教うべし。信・謗共に下種となればなり。
三に時とは、仏教を弘めん人は必ず時を知るべし。
譬えば、農人の秋冬に田を作るに、種と地と人の功労とは違わざれども、一分も益無く、還って損す。一段を作る者は少損なり。一町二町等の者は大損なり。春夏に耕作すれば、上・中・下に随って、皆分々に益有るがごとし。仏法もまたまたかくのごとし。時を知らずして法を弘めば、益無き上、還って悪道に堕つるなり。仏世に出でたまいて必ず法華経を説かんと欲するに、たとい機有れども時無きが故に、四十余年にはこの経を説きたまわず。故に、経に云わく「説時のいまだ至らざるが故なり」等云々。
仏の滅後の次の日より正法一千年は、持戒の者は多く破戒の者は少なし。正法一千年の次の日より
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(028)教機時国抄 | 弘長2年(’62)2月10日 | 41歳 |