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の者を還って謗法の者と謂えり。これひとえに、法華経勧持品に記すところの「悪世の中の比丘は、邪智にして心諂曲に○好んで我らが過を出ださん○国王・大臣・婆羅門・居士に向かって○誹謗して我が悪を説いて『これ邪見の人、外道の論議を説く』と謂わん」の文のごとし。仏の讃歎するところの世の中の福田を捨てて、誡むるところの一闡提において讃歎・供養を加うるが故に、いよいよ貪欲の心盛んに、謗法の音天下に満てり。あに災難起こらざらんや。
問うて曰わく、謗法の者において供養を留め苦治を加うるに、罪有りや不や。
答えて曰わく、涅槃経に云わく「今、無上の正法をもって諸王・大臣・宰相・比丘・比丘尼に付嘱す○正法を毀る者をば、王者・大臣・四部の衆は応当に苦治すべし○なお罪有ることなし」已上。
一切衆生、螻蟻蚊虻に至るまで必ず小善有れども、謗法の人に小善無し。故に、施を留めて苦治を加うるなり。
問うて曰わく、汝、僧形をもって比丘の失を顕す。あに「四衆を謗ぜざれ」と「三宝を謗ぜざれ」との二つの重戒を破るにあらずや。
答えて曰わく、涅槃経に云う「もし善比丘あって、法を壊る者を見て、置いて、呵責し駆遣し挙処せずんば、当に知るべし、この人は仏法の中の怨なり。もし能く駆遣し呵責し挙処せば、これ我が弟子、真の声聞なり」已上の文を守ってこれを記す。
もしこの記、自然に国土に流布せしむる時、一度高覧を経ん人、必ずこの旨を存すべきか。もししからずんば、大集ならびに仁王経の「もし国王有って、我が法の滅せんを見て、捨てて擁護せずんば
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(024)災難興起由来 | 正元2年(’60)2月上旬 | 39歳 |