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お重ければ衆災を免れず」。記に云わく「もし過・現の縁浅からば、微苦もまた徴無し」已上。これらの文をもってこれを案ずるに、法華・真言等を行ずる者も、いまだ位深からず、縁浅くして、口に誦うれどもその義を知らず、一向に名利のためにこれを読み、先生の謗法の罪いまだ尽きずして、外に法華等を行じて内に選択の意を存し、心に存せずといえども、世情に叶わんがために、在俗に向かって法華経は末代に叶い難き由を称すれば、この災難を免れ難きか。
問うて曰わく、いかなる秘術をもって、速やかにこの災難を留むべきや。
答えて曰わく、還って謗法の書ならびに学ぶところの人を治すべし。もししからずんば、無尽の祈請有りといえども、ただ費えのみ有って験無からんか。
問うて曰わく、いかんが対治すべき。
答えて曰わく、治方また経にこれ有り。大集経に云わく「もしは未来世の有信の諸王、もしは四姓等、むしろ如法の比丘一人を護り、無量の諸の悪比丘を護らざれ。能く法を護持せば、当に知るべし、この人は、乃至、十方諸仏世尊の大檀越なり」文。涅槃経に云わく「仏言わく『ただ一人のみを除いて余の一切に施せ○正法を誹謗し、この重業を造る○ただかくのごとき一闡提の輩のみを除いてその余の者に施さば、一切讃歎せん』と」已上。この文より外にもまた治方有り。つぶさに載するに暇あらず。
しかるに、当世の道俗、多く謗法の一闡提の人に帰して讃歎・供養を加うるあいだ、たまたま謗法の語を学せざる者をば、還って謗法の者と称して怨敵と作す。諸人、この由を知らざるが故に、正法
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(024)災難興起由来 | 正元2年(’60)2月上旬 | 39歳 |