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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

の悪比丘と極めて共に戦闘す。その時、説法者は厄害を免るることを得たり。王、その時において身に刀剣箭槊の瘡を被り、体に完き処は芥子のごときばかりも無し。その時、覚徳はついで王を讃めて言わく『善きかな、善きかな。王、今真にこれ正法を護る者なり。当来の世に、この身当に無量の法器となるべし』。王、この時において法を聞くことを得已わって、心大いに歓喜し、ついで即ち命終して阿閦仏の国に生じて、彼の仏のために第一の弟子と作る。その王の将従・人民・眷属、戦闘有りし者、歓喜有りし者は、一切、菩提の心を退せず、命終してことごとく阿閦仏の国に生ず。覚徳比丘、却って後、寿終わってまた阿閦仏の国に往生することを得て、彼の仏のために声聞衆の中の第二の弟子と作る。もし正法尽きんと欲することあらん時、応当にかくのごとく受持し擁護すべし。
 迦葉よ。その時の王とは則ち我が身これなり。説法の比丘は迦葉仏これなり。迦葉よ。正法を護る者は、かくのごとき等の無量の果報を得ん。この因縁をもって、我、今日において種々の相を得て、もって自ら荘厳し、法身不可壊の身を成ず。
 仏、迦葉菩薩に告げたまわく、この故に、法を護らん優婆塞等は、応に刀杖を執持して擁護すること、かくのごとくなるべし。善男子よ。我涅槃して後の濁悪の世に、国土荒乱し、たがいに抄掠し、人民飢餓せん。その時、多く飢餓のための故に発心・出家するもの有らん。かくのごときの人を名づけて禿人となす。この禿人の輩、正法を護持するものを見て、駆逐して出ださしめ、もしは殺し、もしは害せん。この故に、我は今、持戒の人、諸の白衣の刀杖を持する者に依って、もって伴侶となすことを聴す。刀杖を持すといえども、我はこれらを説いて名づけて持戒と曰わん。刀杖を持すとい