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足と名づく』〈三十六本の第三十〉。『一切衆生ことごとく仏性有り』と明かすは、これ少分にあらず。もしなお堅く少分の一切なりと執せば、ただ経に違するのみにあらず、また信不具なり。何に因ってか、楽って一闡提と作るや。これに由って、応に全分の有性を許すべし。理また応に一切の成仏を許すべし○慈恩、心経玄賛に云わく『大悲の辺に約すれば、常に闡提となる。大智の辺に約すれば、また当に作仏すべし』。宝公云わく『大悲闡提は、これ前経の所説なり。前説をもって後説を難ずべからざるなり』。諸師の釈意、大途これに同じ」文。
金錍の註に云わく「境は謂わく四諦なり。百界三千の生死は即ち苦なり。この生死即ちこれ涅槃なりと達するを、衆生無辺誓願度と名づく。百界三千に三惑を具足す。この煩悩即ちこれ菩提なりと達するを、煩悩無辺誓願断と名づく。生死即ち涅槃にして円の仏性を証するは、即ち仏道無上誓願成なり。惑即ち菩提にして般若にあらざること無きは、即ち法門無尽誓願知なり。惑・智は無二にして、生・仏は体同じ。苦・集はただ心のみにして、四弘は融摂す。一即一切、この言に徴有り」文。
慈覚大師、速証仏位集に云わく「第一に、ただ今経の力用のみ仏の下化衆生の願を満たすが故に、世に出でてこれを説く。いわゆる諸仏の因位の四弘の願とは、利生・断惑・知法・作仏なり。しかるに、因円果満なれば、後の三つの願は満ず。利生の一願は、はなはだこれ満じ難し。彼の華厳の力、十界皆仏道を成ずること能わず。阿含・方等・般若もまたしかなり。後番の五味、皆成仏道の本懐なること能わず。今この妙経は、十界皆仏道を成ずること分明なり。彼の達多、無間に堕つるに天王仏の記を授かり、竜女成仏し、十羅刹女も仏道を悟り、阿修羅も成仏の総記を受け、人・天・二乗・三
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(022)爾前二乗菩薩不作仏事 | 正元元年(’59) | 38歳 |