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入る時を云うなり。
十二には老死。俱舎に云わく「当の受に至るまでは老死なり」文。生老死を受くるを老死・憂悲・苦悩とは云うなり。
問う。十二因縁を三世両重に分別する方、いかん。
答う。無明と行とは、過去の二因なり。識と名色と六入と触と受とは、現在の五果なり。愛と取と有とは、現在の三因なり。生と老死とは、未来の両果なり。私の略頌に云わく、過去の二因〈無明・行〉、現在の五果〈識・名色・六入・触・受〉、現在の三因〈愛・取・有〉、未来の両果〈生・老死〉と。
問う。十二因縁流転の次第、いかん。
答う。無明は行に縁たり。行は識に縁たり。識は名色に縁たり。名色は六入に縁たり。六入は触に縁たり。触は受に縁たり。受は愛に縁たり。愛は取に縁たり。取は有に縁たり。有は生に縁たり。生は老死・憂悲・苦悩に縁たり。これその生死海に流転する方なり。かくのごとくして凡夫とは成るなり。
問う。還滅の十二因縁の様、いかん。
答う。無明滅すれば則ち行滅す。行滅すれば則ち識滅す。識滅すれば則ち名色滅す。名色滅すれば則ち六入滅す。六入滅すれば則ち触滅す。触滅すれば則ち受滅す。受滅すれば則ち愛滅す。愛滅すれば則ち取滅す。取滅すれば則ち有滅す。有滅すれば則ち生滅す。生滅すれば則ち老死・憂悲・苦悩滅す。これその還滅の様なり。仏は、還って煩悩を失って行く方なり。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(018)一念三千理事 | 正嘉2年(’58) | 37歳 |