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一には牽引の業なり。我らが正しく生を受くべき業を云うなり。二には円満の業なり。余の一切の造業なり。いわゆる足を折り手を切る先業を云うなり。これは円満の業なり。
三には識。俱舎に云わく「識とは、正しく生を結する蘊なり」文。正しく母の腹の中に入る時の五蘊なり。五蘊とは、色・受・想・行・識なり。また五陰とも云うなり。
四には名色。俱舎に云わく「六処の前は名色なり」文。
五には六処。俱舎に云わく「眼等の根を生ずるより三和の前は六処なり」文。六処とは、眼・耳・鼻・舌・身・意の六根出来するを云うなり。
六には触。俱舎に云わく「三受の因の異なるにおいて、いまだ了知せざるを触と名づく」文。火は熱しとも知らず、水は寒しとも知らず、刀は人を切る物とも知らざる時なり。
七には受。俱舎に云わく「婬愛の前に在るは受なり」文。寒熱を知って、いまだ婬欲を発さざる時なり。
八には愛。俱舎に云わく「資具と婬とを貪るは愛なり」文。女人を愛して婬欲等を発すを云うなり。
九には取。俱舎に云わく「諸の境界を得んがためにあまねく馳求するを取と名づく」文。今世に有る時、世間を営んで他人の物を貪り取る時を云うなり。
十には有。俱舎に云わく「有は、正しく能く当の有の果を牽く業を造るを謂う」文。未来にまたかくのごとく生を受くべき業を造るを有とは云うなり。
十一には生。俱舎に云わく「当の有を結するを生と名づく」文。未来に正しく生を受けて母の腹に
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(018)一念三千理事 | 正嘉2年(’58) | 37歳 |