351ページ
私に云わく、中夭の人には十二因縁つぶさにこれ無し。また天上にもつぶさにはこれ無く、また無色界にもつぶさにはこれ無し。
一念三千理事
十如是とは、「如是相」は身なり〈玄の二に云わく「相はもって外に拠る。覧て別つべし」文。籤の六に云わく「相はただ色のみに在り」文〉。「如是性」は心なり〈玄の二に云わく「性はもって内に拠る。自分改めず」文。籤の六に云わく「性はただ心のみに在り」文〉。「如是体」は身と心となり〈玄の二に云わく「主質を名づけて体となす」文〉。「如是力」は身と心となり〈止に云わく「力は堪任を用となす」文〉。「如是作」は身と心となり〈止に云わく「建立を作と名づく」文〉。「如是因」は心なり〈止に云わく「因とは果を招くを因となす。また名づけて業となす」文〉。「如是縁」〈止に云わく「縁とは縁由なり。業を助く」文〉。「如是果」〈止に云わく「果とは剋獲を果となす」文〉。「如是報」〈止に云わく「報とは酬因を報と曰う」文〉。「如是本末究竟等」〈玄の二に云わく「初めの相を本となし、後の報を末となす」文〉。
三種世間とは、五陰世間〈止に云わく「十種の陰・界、不同をもっての故に、五陰世間と名づくるなり」文〉、衆生世間〈止に云わく「十界の衆生、いずくんぞ異ならざるを得ん。故に衆生世間と名づくるなり」文〉、国土世間〈止に云わく「十種の所居、通じて国土世間と称す」文〉。
五陰とは、新訳には五蘊と云うなり。陰とは聚集の義なり。一に色陰。五色これなり。二に受陰。領納これなり。三に想陰。俱舎に云わく「想は像を取るを体となす」文。四に行陰。造作これ行なり。五に識陰。了別これ識なり。止の五に婆沙を引いて云わく「識はまず了別し、次に受は領納し、想は
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(018)一念三千理事 | 正嘉2年(’58) | 37歳 |