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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 なかんずく法然聖人は、幼少にして天台山に昇り、十七にして六十巻に渉り、ならびに八宗を究め、つぶさに大意を得たり。その外、一切の経論七遍反覆し、章疏伝記究め看ざることなく、智は日月に斉しく、徳は先師に越えたり。しかりといえども、なお出離の趣に迷って涅槃の旨を弁えず。故に、あまねく覿、ことごとく鑑み、深く思い、遠く慮り、ついに諸経を抛って専ら念仏を修す。その上、一夢の霊応を蒙り、四裔の親疎に弘む。故に、あるいは勢至の化身と号し、あるいは善導の再誕と仰ぐ。しからば則ち、十方の貴賤頭を低れ、一朝の男女歩みを運ぶ。しかしより来、春秋推し移り、星霜相積もれり。
 しかるに、忝くも釈尊の教えを疎かにし、ほしいままに弥陀の文を譏る。何ぞ、近年の災いをもって聖代の時に課せ、あながちに先師を毀り、さらに聖人を罵るや。毛を吹いて疵を求め、皮を剪って血を出だす。昔より今に至るまで、かくのごとき悪言いまだ見ず。惶るべく、慎むべし。罪業至って重し。科条いかでか遁れん。対座なおもって恐れ有り。杖を携えて則ち帰らんと欲す。
 主人咲み、止めて曰わく、辛きことを蓼の葉に習い、臭きことを溷廁に忘る。善言を聞いて悪言と思い、謗者を指して聖人と謂い、正師を疑って悪侶に擬す。その迷い誠に深く、その罪浅からず。事の起こりを聞け。委しくその趣を談ぜん。
 釈尊説法の内、一代五時の間に先後を立てて権実を弁ず。しかるに、曇鸞・道綽・善導、既に権に就いて実を忘れ、先に依って後を捨つ。いまだ仏教の淵底を探らざる者なり。なかんずく法然は、その流れを酌むといえども、その源を知らず。所以はいかん。大乗経六百三十七部二千八百八十三巻、