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疑って云わく、天台大師の摩訶止観の第二の四種三昧の御本尊は阿弥陀仏なり。不空三蔵の法華経の観智の儀軌は、釈迦・多宝をもって法華経の本尊とせり。汝、何ぞこれらの義に相違するや。
答えて云わく、これ私の義にあらず。上に出だすところの経文ならびに天台大師の御釈なり。ただし、摩訶止観の四種三昧の本尊は阿弥陀仏とは、彼は常坐・常行・非行非坐の三種の本尊は阿弥陀仏なり。文殊問経・般舟三昧経・請観音経等による。これは爾前の諸経の内、未顕真実の経なり。半行半坐三昧には二つあり。一には方等経の七仏・八菩薩等を本尊とす。彼の経による。二には法華経の釈迦・多宝等を引き奉れども、法華三昧をもって案ずるに、法華経を本尊とすべし。不空三蔵の法華儀軌は、宝塔品の文によれり。これは法華経の教主を本尊とす。法華経の正意にはあらず。
上に挙ぐるところの本尊は、釈迦・多宝・十方の諸仏の御本尊、法華経の行者の正意なり。
問うて云わく、日本国に十宗あり。いわゆる俱舎・成実・律・法相・三論・華厳・真言・浄土・禅・法華宗なり。この宗は、皆本尊まちまちなり。いわゆる俱舎・成実・律の三宗は劣応身の小釈迦なり。法相・三論の二宗は大釈迦仏を本尊とす。華厳宗は台上のるさな報身の釈迦如来。真言宗は大日如来。浄土宗は阿弥陀仏。禅宗にも釈迦を用いたり。何ぞ天台宗に独り法華経を本尊とするや。
答う。彼らは仏を本尊とするに、これは経を本尊とす。その義あるべし。
問う。その義、いかん。仏と経といずれか勝れたるや。
答えて云わく、本尊とは勝れたるを用いるべし。例せば儒家には三皇五帝を用いて本尊とするがごとく、仏家にもまた釈迦をもって本尊とすべし。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(014)本尊問答抄 | 弘安元年(’78)9月 | 57歳 | 浄顕房 |