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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

仏の滅後二千年已後と見えぬ。また「四道の聖人ことごとくまた涅槃せん」云々。付法蔵の二十四人を指すか。「正法滅して後」等云々。像末の世と聞こえたり。
 「当に比丘有るべし。律を持つに似像せて」等云々。今、末法の代に比丘の似像を撰び出ださば、日本国には誰の人をか引き出だして、大覚世尊をば不妄語の人とし奉るべき。俗男・俗女・比丘尼をば、この経文に載せたることなし。ただ比丘ばかりなり。比丘は日本国に数を知らず。しかれども、その中に三衣一鉢を身に帯せねば、似像と定めがたし。ただ持斎の法師ばかり相似たり。一切の持斎の中には、次下の文に「律を持つ」ととけり。律宗より外はまた脱れぬ。次下の文に「少しく経を読誦し」云々。相州鎌倉の極楽寺の良観房にあらずば、誰を指し出だして経文をたすけ奉るべき。
 次下の文に「なお猟師の細めに視て徐かに行くがごとく、猫の鼠を伺うがごとし。外には賢善を現じ、内には貪嫉を懐く」等云々。両火房にあらずば、誰をか三衣一鉢の猟師・伺猫として仏説を信ずべき。哀れなるかな、当時の俗男・俗女・比丘尼等・檀那等が、山の鹿・家の鼠となりて、猟師・猫に似たる両火房に伺われ、たぼらかされて、今生には守護国土の天照太神・正八幡等にすてられ、他国の兵軍にやぶられて、猫の鼠を捺さえ取るがごとく、猟師の鹿を射死すがごとし。俗男・武士等は射伏せ切り伏せられ、俗女は捺さえ取られて他国へおもむかん。王昭君・楊貴妃がごとくになりて、後生には無間大城に一人もなく趣くべし。
 しかるを、余このことを見る故に、彼が檀那等が大悪心をおそれず強盛にせむる故に、両火房、内々諸方に讒言を企てて余が口を塞がんとはげみしなり。