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道、一つを闕いても不可なり」等云々。この宣旨のごとくならば、慈覚・智証こそ専ら先師にそむく人にては候え。
こうせめ候もおそれにては候えども、これをせめずば大日経・法華経の勝劣やぶれなんと存じて、いのちをまとにかけてせめ候なり。この二人の人々の弘法大師の邪義をせめ候わざりけるは、最も道理にて候いけるなり。
されば、粮米をつくし人をわずらわかして漢土へわたらせ給わんよりは、本師・伝教大師の御義をよくよくつくさせ給うべかりけるにや。されば、叡山の仏法は、ただ伝教大師・義真和尚・円澄大師三代ばかりにてやありけん。天台座主すでに真言座主にうつりぬ。名と所領とは天台山、そのぬしは真言師なり。されば、慈覚大師・智証大師は「已今当」の経文をやぶらせ給う人なり。「已今当」の経文をやぶらせ給うは、あに釈迦・多宝・十方の諸仏の怨敵にあらずや。
弘法大師こそ第一の謗法の人とおもうに、これはそれにはにるべくもなき僻事なり。その故は、水火・天地なることは、僻事なれども人用いることなければ、その僻事成ずることなし。弘法大師の御義はあまり僻事なれば、弟子等も用いることなし。事相ばかりはその門家なれども、その教相の法門は弘法の義いいにくきゆえに、善無畏・金剛智・不空・慈覚・智証の義にてあるなり。慈覚・智証の義こそ「真言と天台とは理同なり」なんど申せば、皆人さもやとおもう。こうおもうゆえに、事勝の印と真言とについて、天台宗の人々、画像・木像の開眼の仏事をねらわんがために、日本一同に真言宗におちて、天台宗は一人もなきなり。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(010)報恩抄 | 建治2年(’76)7月21日 | 55歳 | 浄顕房・義浄房 |